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土佐和紙

読み方:とさわし

土佐和紙の画像

産地:高知
土佐七色紙(※1)、典具帖紙(※2)、謄写版原稿用紙(※3)、図引紙(※4)など古くから多様なバリエーションを展開しており、近代化や輸出によって世界に知られるようになりました。雲芸紙、楮鳥の子、金和紙などが漉かれ、美術紙・民芸紙として注目されています。

※1『土佐七色紙』・・・土佐特有の七色の紙の事で、原料はほとんど楮〔こうぞ〕ですが黄紙と紫紙には雁皮を使い、天然染料で染め上げられていました。
※2『典具帖紙〔てんぐちょうし〕』…原料は楮。かげろうの羽に比較されるほど薄い(0.03mm)。木版画の版下や画家の透き写しなどに使われ、上等品はタイプライター用として輸出されていました。
※3『謄写版原稿用紙〔とうしゃばんげんこうようし〕』…楮が原料で後に図引紙に発展しました
※4『図引紙〔ずひきがみ〕』…三椏〔みつまた〕が原料で製図用、扇面用紙や転写用紙として使われました。

用途・特徴七色の魅力

黄紙〔きがみ〕・浅黄紙〔あさぎがみ〕・桃色紙〔ももいろがみ〕・柿色紙〔かきいろがみ〕・紫紙〔むらさき紙〕・萌葱紙〔もえぎがみ〕・朱善寺紙〔しゅぜんじがみ〕の7紙からなる「土佐七色紙」のなかで、特に浅葱色紙は最も多く生産され、「青土佐」という名で多く流通していました。青土佐と並んで人気があったのは薬袋紙で、天日乾燥によって焦げ色になることからコゲ紙ともいわれ、香気を放ち耐久性もあるので薬を包むのに重宝されました。

起源・歴史伝統と発明の先に

土佐和紙は平安時代から漉かれてきましたが、明治維新後に吉井源太をはじめとする先駆者たちの技術改良と販路拡張に伴い、大きな発展を遂げました。吉井は、明治初期に郵便半切紙という、ペン書きに適したインキ止紙を考案し、明治10年の内国勧業博覧会で賞を受けました。さらに、米糊のかわりに白土(※5)と混入した虫害に強い紙や、美濃の典具帖紙を改良したものを発明しました。このような新しい和紙の発明が、高知の和紙産業を支え、発展させてゆきました。しかし、第2次世界大戦後、機械化の流れにのまれ、手漉き和紙の販路は狭められてしまいました。現在では、伝統の技術を守るため、若手後継者の育成に力を注いでいます。

※5白土…流紋岩などが風化した白色の土。二酸化珪素が主成分。塗料の材料、セメントの混合材などにする。
(大辞林『CD−ROM版』編者松村明三省堂編修所〈C〉1993発行者株式会社三省堂)

原料・漉き方紙質を左右する「こぶり」

土佐和紙は主に楮を原料とし、三椏・雁皮などを米糊で混ぜ合わせます。

土佐和紙は製作の工程で、充分に叩解〔こうかい〕された紙料を専用の篭〔かご〕に入れて水中に沈め、掻き混ぜて分散させる「こぶり」という作業があります。これが土佐和紙において紙質を決定する重要なポイントになります。

基本的な製作工程の他、用途によって漉き方や乾燥のさせ方などが若干異なってきます。例えば、明治以降に三椏が応用され、発展した図引紙は乾燥工程において、にじみを止めるために礬水〔どうさ〕引きの作業をします。礬水引きとは膠〔にかわ〕や松脂〔まつやに〕を混ぜ、明礬液〔みょうばんえき〕を加えた液を刷毛で塗るというものです。

■参考文献・ウェブサイト


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